絞りの町有松は、江戸時代の初めには人家の無い荒地であったため、この地域を通る東海道の治安に支障をきたしており、尾張藩は人の住む集落を作るために住民を募り、1608年(慶長13年)東海道沿いに新しい集落として開かれました。
しかし、有松地域は丘陵地帯であるため稲作に適する土地ではなく、また鳴海宿までの距離が近かったことから間の宿としての発展も望めなかったためその生活は厳しく、やがて副業として開祖である竹田庄九郎らによって、有松絞りの生産が始められました。
尾張藩が有松絞りを藩の特産品として保護し、竹田庄九郎が御用商人に取り立てられたのをきっかけとし、街道一の名産品として有松絞りが盛んになってゆくにつれ、鳴海などの周辺地域でも絞り染めが生産されるようになっていきましたが、有松側は尾張藩に他地域における絞り染め生産の禁止を訴え、1781年には有松絞りの保護のため、尾張藩より営業独占権を与えられました。
独占権を得た有松には現在につながる豪壮な町並みが形作られてゆきました。その繁栄ぶりは、北斎や、広重の浮世絵にも描かれています。
昔の繁栄と、日本建築の美しさを今に伝える町並みは、200年を経過した貴重な文化財です。
その景観は、名古屋市の町並み保存指定第一号として、また全国町並み保存連盟の発祥地としても知られています。
また、服部家住宅と服部家土蔵は愛知県が「有形文化財」に指定し、岡家住宅・小塚家住宅・竹田家住宅は名古屋市が「有形文化財」に指定しています
近世の幕開けとも言われる「桶狭間の戦い」は、1560年(永録3年)5月19日に尾張の領主織田信長が、駿河・遠江・三河の領主今川義元の10倍ほどの大軍を打ち破り、西三河から尾張に至る地域から今川氏の勢力を一掃させ版図を広げた、日本の歴史上でも非常に有名な戦いです。
有松の周辺地域はこの「桶狭間の戦い」の舞台となった土地なので、この戦いにゆかりのある観光スポットが、古戦場公園をはじめとしてたくさん残されています。